暗黒の章 第30章 ヨール・ネイの放浪記

 1 最果ての王国 プーピエト


 ああ、ヨール・ネイというのは私のことだよ。子供たちばかり集まって、どうしたんだい?皆で楽器でも見に来たのかね?
 ・・・なに?私の旅の話が聞きたいだって?なるほど。さては、私が色々な国を旅してきたことをお父さんから聞いたのか。
 よし。良いだろう。特別に話してあげよう。ほら、君たちも、怖がってないで中に入って、その辺に座りなさい。
 ただし・・・この私の旅の話が、楽しいことや、可笑しいことばかりだと思ってはいけないぞ?時には恐ろしいことや、悲しいこともある。それでも聞きたいかね?
 それでも聞きたいようだね。それなら、話を始めようか。まずどの国の話をしようか・・・。
 そうだ、まずは私が生まれ育った国の話をしよう。色々な国を見て回ったが、やはり故郷のことが一番思い出に残っているからね。
 その国は名をプーピエト王国という。ここより遥か西の方にある小さな町のある小さな国だ。そして、その小さな町の真ん中には大きな城があった。私はその城が遠くに見える、町の外れの家で生まれたんだ。
 プーピエトは小さかったが、とても陽気で、いつもお祭りのように賑やかで明るい国だった。立ち並ぶ家も、町中の地面も、綺麗な赤いレンガで作られていてね、そのレンガからはいつでも爽やかなハーブの香りがしていた。
 どうしてレンガからハーブの香りがするのかって?それは町の大工たちの間の秘密だったから、私も知らないんだ。だけど、そのハーブの香りは年中していたよ。
 私の家とは反対側の町の外れには海もあった。虹色の水が波打っていて、その色ごとに様々な甘い味がするんだ。プーピエトの国民はその海水を汲んで、たくさんのあめ玉を作る。七つの色がある、小さな丸いあめ玉だ。自分たちで食べるのもあるが、それだけじゃない。
 あめ玉はプーピエトの通貨だったんだ。そう。ここではこういう金貨が使われているね。ここではあめ玉を買うために金貨を払わなければならないが、私の育った国では、物を買う時には商人が欲しがるだけのあめ玉を支払っていたんだ。
 だから、市場にはいつも甘い匂いが立ち込めていて、私は用もないのにいつも市場に足を運んでいたよ。私もそのあめ玉が大好物だったからね。プーピエトの人々は、小さな赤ん坊から、シワシワのお年寄りまで、皆あめ玉が好きだったんだ。
 だけど、商人たちは、あめ玉を作るのが下手な人たちだったんだ。ただ、その代わり、ある人は魚を捕るのが上手かったり、またある人は家具を作るのが得意だったりした。だから、そういう人たちは、そういった物とあめ玉を交換していたんだね。
 少し、町の雰囲気も話しておこうか。町中が赤いハーブの香りのレンガで造られていることはもう言ったね。それぞれの家はそれほど大きくはなかったが、町の中心部、城の近くになっていけばなっていくほど、隙間なく家が立ち並んでいた。
 そうだ、町はハーブのレンガで作られていて、全体が赤かったが、城は真っ白だった。何か別の石が使われていたんだろう。城の城壁からは、ほのかにレモンの香りがしていたしね。
城の正面は、オレンジの色と味のする水が吹き出る大きな噴水のある広場になっていた。収穫の時期になると、その広場でお祭りが行われるぐらい広かったんだ。
 私も友達とよくそこで遊んだものだった。何しろ、そこで遊んでいると、時たま城を出入りする面白いものや、珍しいものが見ることができたからね。
 そういえば、空にはいつも、大きな翼を持つ羊のような動物が飛び回っていた。それは定期的に城から飛び立って、上に兵士を乗せて、町の安全を確認していたんだ。それ以外にも、城の偉い人を乗せた車を引く大きな鶏や、兵士たちを乗せて走る大トカゲ。城からは私たち子供を楽しませる面白いものがたくさん出てきた。
 その他にも、子供たちは広場で色々な遊びをしたよ。ヒカリゴケという、名前の通り光るこけに火を付けて、花火のように輝かせたり、お互いに捕まえてきた、角を持つアリを戦わしたり、たまに風に乗ってやってくる魚を捕ったりね。
 そう。この国では魚は水の中を泳いでいるものだが、プーピエトでは魚は風の中を泳いでいたんだ。ここの魚よりもヒレが大きくて、それを翼のようにして風に乗るんだ。だから、漁師たちは蛇に乗って魚を捕りに行くのさ。蛇も風の中を泳げるからね。
 とにかく明るい町で、人が喧嘩をしているところなんて見たこともなかったし、私自身、他の子供たちと喧嘩をしたこともなかった。行き交う人は見知らぬ他人だろうと笑顔で挨拶を交わしたり、おばさんたちが自分の作るあめ玉の自慢話なんかで盛り上がったりしていた。
私はそんな町で私は生まれ、子供時代を過ごしたわけだ。
 ふむ・・・故郷の話のせいか、町の説明が長くなってしまったね。だが、話はここからが本番だ。
 まだ私が君たちぐらいの歳だった頃の話だ。飼っていたアヒルと部屋で遊んでいた私を、お母さんが呼び付けた。
「ヨール!ヨール!」
 と、いつものように優しい声でね。私がキッチンにいるお母さんの所に駆けて行くと、お母さんは料理を作っていた手を止めて、私にあめ玉の入った袋を手渡した。
 ちなみに、私のお母さんのあめ玉は絶品だったよ。市場の商人はお母さんが来ると喜んで、普通の半分の量のあめ玉で物を売ってくれたこともあった。
 とにかく、お母さんは私にあめ玉を持たせると、お使いを頼んだんだ。
「市場まで行って、青い目で、白くて、オレンジ色の尾っぽの魚を二匹、買ってきておくれ。今日はお父さんがお客さんを連れてくるから、足りなくなってしまったんだ」
 と、こう言うわけだ。私はそれを快く引き受け、魚を買うのに十分な量のあめ玉が入った袋を腰に結び付けて家を出た。
 おっと、断じて言うが、私はあめ玉を盗み食いなんてしなかったぞ?ただ、一つだけ形が少し悪いものがあったから、これを出したら商人が怒るかと思って自分の口の中に捨てただけだ。
 とにかく、私は口の中であめ玉を転がしながら、日の傾きかけた町の中を歩いていた。お母さんに頼まれた魚の名前は知らなかったが、私の好物だったので、確実に買ってこられる自信があった。
 ところが、私は途中でよく一緒に遊ぶ、二つ年上の友達と出会ってしまったんだ。その友達は、急いでどこかに向かう途中だったが、私を見かけると立ち止まって、浮かれた声でこう言う。
「ヨール!聞いたか?王様の行列が大通りを通るらしい!」
 私はその言葉に飛び上がった。何しろ、王様の行列は城に着くまでの間、城で焼いたやわらかくてほんのり甘い格別に美味しいパンを周りに配るという噂を聞いていたからね。
 話に聞いていただけで、一度も行列を見たことがなかった私は、どうしてもその友達と一緒に大通りに行きたくなった。大通りというのは、さっき話した城の前の広場から伸びる、町を突っ切る大きな通りのことで、私の向かっていた市場とは逆方向だったんだ。
 だけど、私はその時、行列を見た後、急いで買い物をして、走って帰ればきっと大丈夫と、そう思ってしまったんだ。それに、美味しいパンを持って帰ればお母さんも喜ぶに違いない、ともね。
 そこで私は、友達と一緒に大通りに向かって走った。
「パンはたっぷり用意してあるらしいけど、美味しいからすぐになくなってしまうんだってさ。急げ!」
 友達もそう言うので、私たちはとにかく急いで走り、大通りにたどり着いた。
 大通りに着くと、ちょうど王様の行列の先頭が目の前を横切るところだった。それはもう長くて、賑やかで、豪華な行列だ。先頭の方では、兵士達がラッパやらドラムやら笛やらで音楽を奏でていて、その後ろでは鮮やかな衣装を着た踊り子達が楽しげな踊りを踊っている。
 私はその時、様々な楽器が奏でる音に興奮して聞き入ったよ。初めて音楽というものを聞いてね。それから私はお手製の楽器を作ってみたりするようになったわけだが、そのことはまた後で話そう。
 とにかく、その行列も中ほどに差し掛かった時だった。ついにパンを配って歩く女性たちの姿が見えたんだ。私たちは飛び上がって喜んで、見物人たちを押し分けて一番前まで出ると、パンを配る女性たちが来るのを待った。
 三羽の鶏が引く大きな荷車の中には、それはもうたくさんのパンが積んであって、エプロン姿の女性たちは自分の持つ大きなかごにそのパンを取っては、周りの見物人に配っていた。
 荷車が近付いて来るに連れて、パンの甘い良い香りが漂ってきて、しかも美味しそうなパンの小麦色がよりはっきり見えてきてね。夕飯をまだ食べていなかった私のお腹は、さっきの楽器のようにグーグー鳴っていたよ。
 そしていよいよパンを持った女性たちが目の前までくると、私たちは必死で手を伸ばして、自分たちにくれるように叫んだ。それを見つけて、女性の一人が私たちに二つずつパンを手渡してくれた。手に持っただけで柔らかさが伝わってきて、それはもう極上の香りのパンだった。
 次に通りかかった女性も一つずつパンをくれたので、私たちはそれぞれ三つずつパンを手に入れることができた。
 私たちは我慢できず、さっそくその内の一つに噛り付いたよ。香ばしいさと、ほのかな甘みが口の中に広がって、それが柔らかくてしっとりとした心地いい食感と相まって、それはそれは格別に素晴らしいパンだった。
 私も長く旅をして色々な国のパンを食べたよ。独特の味と香りを持つパンから、石のように硬いパンや、中にクリームを入れたパン。だが、あれほどのパンは他に食べたことはない。それほど美味しかった。
 さて、パンを一つ食べ終えると、満足げな表情で友達が私に話し掛けてきた。
「パンももらったし、そろそろ帰ろうか」
 その友達は初めからパンがもらえれば満足だったようだが、私は最後まで行列を見たいと言い張った。そこで、友達も折れて、最後まで私に付き合ってくれることになったんだ。
 パンを配る行列が過ぎると、すぐにプーピエトの国旗を掲げた兵士達が行進してきた。それが行列の後ろの方で、どうやらその後王様を乗せた車がくるらしいと、私にもすぐに分かった。
 私はそれまで、自分の国の王様を見たことがなかったからね。一体どんな人なのか、とても興味があったし、知っておくべきだと子供ながらに思ったんだ。
 そして、今までで一番豪華で、4羽の孔雀のように綺麗な鶏に引かれた大きな車が私の前に差し掛かった。その車に据え付けられた椅子の上に、髭を生やしたなんだか偉そうな人に左右を挟まれて、王様が座っていたんだ。
 王様はボサボサで太い髪の毛の上に、ちょこんと冠を乗せていて、口元は常に笑顔で、目はまん丸で黒く、耳と指がなくて、フワフワしてそうな肌をしていて、一切動かなかった。
 どうしてかって?これがプーピエトの、最も不思議なところだ。
 その王様は、なんと『人形』だったんだ。そう、ちょうど君が今抱いているような人形だ。その頃の私よりも、そう、君よりも小さかったし、髭もなく、鎧も着けていなかった。全然王様らしくないだろう?
 だけど、どういうわけか、周りの見物人たちは誰一人それを疑問に思わない様子で、感激したように王様に手を振っているんだ。変だろう?見物人の中には、もちろん大人も大勢いたし、老人もいた。男も女も、子供もいた。だけど、誰一人として、
「何で王様が人形なんだ?」
 とは言わないんだ。
 私は不思議でしょうがなかった。どうして皆、あの人形に嬉しそうに手を振ったり、拝んだり、お辞儀をしたりしているんだろう、ってね。でも、不思議がっているのが私だけのように見えたので、私は戸惑った。
 横にいた友達も別に変な様子はない。私は確認のため、友達に小声で耳打ちした。
「ねえ、今の王様、なんか変じゃなかった?」
 ってね。だけど、その友達は肩をすくめただけで、別に何も変には思わなかったらしいんだ。皆も不思議に思うだろう?もし王様が人形だったら。
 その後、広場で王様のスピーチがあった。難しいことを話していたので、内容はよく分からなかったが、私はどうにも喋っているのが王様の人形ではなく、その斜め後ろにいる髭の大臣のような気がしてならなかったんだ。
 だけど、そのスピーチの時も、さっきと同じように誰も不思議な顔をしたり、首を傾げていたり、まして王様が人形であることを言う人なんていなかった。それどころか、スピーチが終わると拍手喝采が起こったぐらいだ。
 私は一人、違和感を感じながらも、それが自分だけであるらしいという不安で、誰にもそのことを話せずに、行列が去った後の広場を後にしたんだ。
 そう、よく思い出したね。私には用事があったはずだったんだ。魚を買うという用事がね。
 私も家に帰りかけて、そのことを思い出した。慌てて市場まで走ったが、あいにくどの魚屋さんももう閉店していて、私は結局魚を買うことができなかったんだ。
 結局諦めて私は使わなかったあめ玉の袋とパン二つを持って家に帰ることになった。その時にはもうお父さんのお客さんは既に来ていて、私はひどく叱られたよ。私の持って帰ってきたパンに、お客さんたちが喜んでいたから、両親もそれほどいつまでも私を叱り付けはしなかったのが救いだったね。
 だけど、叱られたことよりも、私はその日から王様に対して違和感を持ってしまったんだ。その違和感は日に日につもり、やがて疑問になり、そして不信感になったんだ。
 そしてある日、私は勇気を出してお母さんに尋ねてみたんだ。
「王様はどうして人形なの?」
 ってね。お母さんは持っていた木のスプーンを床に落とすほど驚いて、青ざめた顔で私の両肩を掴むと、静かだが、厳しい声でこう言った。
「この子は何て恐ろしいことを言うんだろう。いいかい?そんなこと、二度と口にしてはいけないよ?」
 お母さんのあまりに怯えた表情に、私はその時は頷いたが、それによって王様への不信感はより大きなものになったんだ。その後も何度か王様を見ることがあったが、やはりいつ見ても人形だったからね。
 私はそんな不信感を抱いたまま、二十歳過ぎまでその国で過ごしていた。その頃になると、私は楽器造りで結構名前が知られるようになっていてね。あの時、王様の行列で見た楽器がどうしても欲しくて、子供の頃から色々と造っていたおかげだった。
 そう、ちょうどここにあるような楽器だ。こういう笛や、これなんかは叩くと様々な音がでる。後で使い方を教えてあげよう。
 とにかく、私のところには色んなお客さんが来るようになっていた。楽器を造れる人は珍しかったし、自慢じゃないが私の楽器の奏でる音はピカイチだったからね、かなり大量のあめ玉と交換することができたんだ。
 来たのは普通のお客さんばかりじゃない。私の噂は城にまで伝わり、良く私の元に城からの使いが来て、楽器を依頼したものだった。
 どれ・・・一つこの、弦の付いた楽器を弾いてあげようか。これはハープという楽器なんだが、本来のハープと違って、私のアイデアで持ち歩けるほど小さくしてみたんだ。良いかい?・・・ほら、良い音だろう?しばらく弾いていよう。
 どこまで話したんだったかな?そうそう、私が楽器造りとして成功し始めたところだった。だが、そんなある日のことだ。私が大通りを歩いていると、知り合いのが私に声をかけてきた。
 知り合いと言っても、彼は私のことをあまり良く思っていなくてね。私も彼のことかあまり好きではなかったんだ。そんな彼が私に話し掛けてくるなんて、一体何の用だったかというと、彼はこう言うんだ。
「やあ、ヨール。今日これから、広場で王様の演説があるのを知っているかい?君ももちろん聞きに行くんだろ?」
 私はそのことを知らなかったが、大通りに普段より人が多いのは気付いていた。どうやら、皆それを聞きに行くところだったらしい。だが、私はさっき言ったように、王様に疑問を抱いていた。だから、首を振ってこう答えたんだ。
「いいや、僕は行かないよ。王様の演説にはあまり興味はないんでね」
 相手が普通の友人だったなら、私のその言葉を素直に納得してくれただろうが、あいにく相手は私のことを嫌っている人物だ。当然のように私に突っかかってきた。
「興味がないだって?君もこの国の国民ならば、この国を素晴らしくしてくれている王様の話は喜んで聞きに行くべきではないのか?」
 と、こう言うんだ。私も取り合わなければ良かったのだが、ついついかっとなってしまって、それに反論してしまったんだ。
「それは違う。国を素晴らしくしているのは王様ではなくて国民だ。王様はそれを見守る役割に過ぎない」
 君たちはどっちの意見に賛成するだろうね。君たちの国には『王様』というものがいないから、良く分からないかな?
 とにかく、私たちは大通りの真ん中で人目も気にせず議論を始めてしまったんだ。そして、そうやって言い合う内に、彼がこう言った。
「君の楽器だって、王様に買ってもらっているではないか。それは、君の生活も王様によって養ってもらっていることにはならないのか」
 それに私はこう答えた。
「それはたまたま城の音楽家が僕の楽器を気に入って買ってくれるだけだ。別に王様に養ってもらっているつもりはない」
 彼はいよいよイライラしてきたんだろうね。熱くなってこう叫んだ。
「君は王様を尊敬しないのか!」
 その言葉に、私も思わず叫んでしまったんだ。大通りの真ん中で、大勢の人が聞いている中で、声高らかに、
「王様は人形だ!」
 ・・・とね。すると突然、辺りが静まり返ったんだ。今まで私と議論していた彼も、目を丸くして口をつぐんでしまった。
車を引いていた鶏も、空を飛んでいた羊も、野良子ブタさえも、鳴くのを止めてしまったんだ。
 私はその事態に大層驚いて、戸惑ったよ。どうやら私は、これまで暗黙の内に隠されてきていたものを、唐突に皆の前で暴露してしまったらしい、とその時初めて気付いたんだ。
しばらく静寂が続いた後、私たちのことを見ていた人たちの一人が、ポツリとこう言ったんだ。
「俺は・・・知っていたぞ・・・。王様が人形だって気付いていた・・・」
 すると、通りの反対側からも声が上がった。
「俺もだ!」
「私もよ!」
 ってね。しかし、それに対抗するように、別の声も上がった。
「そんなわけあるか!」
「そうだ!」
 そうなると、事態は収拾がつかなくなったよ。あちこちで言い争いが始まって、ついには殴り合いにまで発展して、大騒動になってしまったんだ。
 その騒動のせいで、その日行われるはずだった王様の演説は中止になって、多くの国民が説明やら、謝罪やらを求めて城に殺到したんだ。
 だけど、城はすっかり閉めきられていて、誰も中に入れないようになっていた。城の大臣たちはさぞかし頭を抱えただろうね。気付いてはいけないことを、国民たちが突然、一斉に気付いてしまったのだから。
 それから、国中の国民は四つの違った意見によって分かれたんだ。一つは、
「王様はただの人形だ。我々は騙されていた」
 と言って怒る人たち。二つ目は、
「我々は王様が人形であることを知っていた。ただ黙っていただけだ」
 と言う人たち。三つ目は、
「王様が人形だなんて真っ赤な嘘だ。王様はああいう人なのだ」
 と主張する人たち。そして最後に、
「王様が人形だろうと人間だろうと関係ない。王様は権威の象徴としているのだ」
 と言う人たち。ああ、「権威の象徴」という言葉は難しかったね。つまり、王様はそこに居ることに意味があるんだ、ということだよ。
 とにかく、最初の二つの意見の人たちと、後の二つの意見の人たちがそれぞれ手を組んで、大通りを挟んで半分に分かれたんだ。そうして、国民の間で恐ろしい戦争が始まってしまった。
 国民達はそれぞれ武器を持って、同じ国の仲間であるはずの敵を、お互いに大勢殺してしまった。華やかだった大通りも、レンガの赤の上に、血の赤が重なり、ハーブの香りも血の匂いにかき消された。
 自分たちの目前で戦争が起こっていても、城は城門を閉ざして、一切何もしようとしなかったよ。ここで王様を国民の前に出したりしたら、
「ほら見ろ!王様は人形じゃないか!」
 と、そう言われてしまうと思ったんだろうね。
 城の偉い人たちは、きっとどうすることも出来ずに、ただ戦争が終わるのを待っているしかなかったんだろうね。彼らだって、「王様は人形か?」と聞かれれば困ってしまうだろうから。
 私はと言うと、戦争には参加せず、怖くなって家でガタガタ震えていたよ。何しろ、自分がこの戦争を引き起こしてしまったんだからね。私の不用意な一言のせいで、今まで仲の良かった国民たちが、外でお互いを傷つけ合っている姿を、私は見たくなかったんだ。
 だが、さすがにいつまでもそうしているわけにはいかなかった。私は、何とかしてこの戦争を終わらせる方法がないかと、ずっと頭を悩ましていたんだ。
 そしてある日のことだった。私は閃いた。だが、果たして本当にこれで戦争が終わるのか本当に不安だった。しかし、やってみる価値はあると思って、私は勇気を出して家の外に出たんだ。
 町は見るも無残な状態になっていたよ。レンガの崩れた家や、血を流して倒れている人がそこら中に見えた。私はそれを見て悲しい気持ちになったが、同時にどうしてもこの戦争を止めなければいけない、と奮い立ったんだ。
 大通りに出ると、そこは未だに戦争が続いていた。私はなるべく危険な場所を避けて大通りを走り抜け、広場にある噴水の縁に立って叫んだ。
「皆、聞いてくれ!」
 とね。最初は皆戦争に夢中で、誰も私の声を聞いていないようだったが、何度も何度も叫ぶうちに、一人、二人と戦うのを止めて、私の方を見たよ。やがて、その辺りにいた全員が私に注目した。
 そこが正に正念場だったよ。これで戦争が終わらなければ、私にはどうすることも出来なかっただろうし、きっと私は殺されてしまうだろうとも思った。
 そして、私は大きく息をして呼吸を整えると、意を決して、声の限りにただ一言だけ、こう叫んだんだ。
「人形は王様だ!」
 前と同じように辺りは静まり返り、皆きょとんとした顔で私を見つめていたよ。
戦争が始まった時と同じように、辺りは静寂に包まれて、さっきまでの喧騒が嘘のようだった。
だが、ようやく一人がポツリと呟いたんだ。
「そうか・・・人形は王様なのか」
 ってね。その人がそう言ったのをきっかけに、人々は急に持っていた武器を投げ出して、口々に、
「なぁんだ、人形が王様だったのか」
 とか、
「そうだよ、人形は王様なんじゃないか」
 とか言いながら、争うことを止めたんだ。
 ん?何故かって?さて、何故だろうね。良く意味を考えてごらん?戦争の原因になった私の最初の一言との違いを考えれば、どういうことか分かるはずだよ。分からないかい?まあ、それは後でゆっくり考えると良い。
 ただ、私自身、本当にこんな一言ぐらいで戦争が終わるのかどうかとても不安だったのは事実だ。だが、考えてみれば、戦争が始まったのだって、私の発したほんの一言だったんだから、戦争を終わらせる言葉も一言でも良いはずだろう?
 とにかく、そうして戦争は終わって、人々は戦争で傷付いた人々を治し、壊れた町を元に戻そうと協力し始めた。
 そして、そうする中で、それぞれの家で持っていた人形を、皆が城に納めるようになったんだ。何しろ、「人形は王様」だからね。
 しばらくすると、ようやく城門も開放されて、すぐに王様の挨拶があった。大臣たちは私の案に乗ったらしく、王様の人形・・・いや、人形の王様はその挨拶の中で「人形が王様である」と説明をしたんだ。
 しかし、私が安心できたのは、束の間のことだったよ。戦争が終わって、町が落ち着きを取り戻し始めたある日、子供の頃に一緒に王様の行列を見に行ったあの友人が私の家を慌てて訪ねてきたんだ。
 その友人は、城の兵士たちが戦争を引き起こした張本人を探していることを教えてくれた。つまり、私のことを探しているんだ。友人は、私が程なく見付かってしまうであろうということと、捕まれば処刑されてしまうだろうということを忠告してくれた。
 考えてみれば当然のことなのだが、私は驚いて大急ぎで荷造りを始めたよ。そして、その日の夜の内に、その友人の協力で町を去ったんだ。こうして、私は満足にお別れもできないまま、生まれ故郷のプーピエトを後にすることになった。
 多分、今でも私が戻れば兵士たちは私を捕まえて、処刑するだろうね。そしてきっと、今でもまだ、人形の王様があの国を治めているのだろう。
 とにかく、私は夜の間も休むことなく歩き続けて、できるだけ町から離れた。別に行く当てもなかったし、外の国ではあめ玉がお金にならないことも知っていた。だから私は、様々な国を、楽器を売りながら旅して回ろうと、その時決めたんだ。
 私はまずは東に向かったよ。そしてたどり着いたのが、私の旅で最初に訪れた・・・
 おっと、もう日が落ちてこんなに暗くなっている。そろそろ帰らないと、ご両親が心配する。皆、今日は帰りなさい。
 わがままを言っちゃいけない。ああ、心配しなくても、話の続きは今度してあげよう。本当だとも。約束しよう。
 気を付けて帰るんだよ。夜には影を盗む怪物が現れるんだ。一人で帰っちゃいけないぞ。ああ、話の続きは今度必ずするとも。約束だ。旅人は約束を破らない。
 ・・・ふう・・・元気な子供たちだったな。ここもいい所だった・・・
 ・・・旅人は約束を破らない・・・嘘はつくけどね。・・・ははは。
 さて、旅の仕度だ。この町にもずいぶん長居してしまった。次はどんな所にたどり着くのやら・・・


 2  水の都 エーキュエ


 ええ。方々をあてもなく旅して回っているんです。気楽な旅人ですよ。私ももうこんな歳ですがね、いくつになっても旅は楽しいもので、止められない。
 ああ、申し遅れましたね。私はヨール・ネイと言います。・・・ほう、私の噂を聞いたことがある。噂というのは凄いものですね。物語よりも早く伝わっていく。
 そう、今度は東の国境を越えて隣の国に行くつもりです。その途中で偶然通りかかったこの馬車に便乗できたというわけです。偶然先にあなたが乗り合わせていたのも何かの縁だ。あなたはどちらまで?
 ほう、マックハインまで。それは長旅ですな。一体どうして、まだ若いというのに、一人でそんなところまで行かれるんです?差し支えなければ、伺ってもよろしいかな?
・・・なるほど。機械工をされていて、人々の生活をとても便利にできるような素晴らしい発明をしたのに、自分の国では誰も認めてくれなかったわけですか。
 確かに、それならばマックハインは機械工学の技術がとても発達していて、受け入れ口も広い国だ。あなたの発明もきっと認めてもらえることでしょう。
 ええ、私も一度訪れたことがありますよ。鉄と油の匂いがする、活気ある国でした。
 その時の話を聞かせてくれ?・・・ふむ、そうですねぇ・・・。マックハインの話も良いが、せっかくこれから訪れる地の話を先に聞いてしまったのでは、まだ読んでいない物語の結末を先に聞いてしまうようなもので面白くない。
 そこで、どうでしょう、あなたが機械技師だというのなら、是非ともお聞かせしたい話がある。エーキュエという、マックハインに勝るとも劣らない、とても発展した文明を持つ国の話です。
 そんな国、聞いたことがない?ははは・・・それはそうでしょう。あなたが生まれる以前に、なくなってしまった国ですから。どうです、そう言われると、興味が沸いてきたのではないですか?
 私の噂ではありませんが、その当時エーキュエの噂は至る所に広まっていましたよ。ですが、今ではもうすっかり聞かなくなってしまった。噂というのは、伝わるのは早いが、消えてゆくのもまた早いものです。
 ですが、物語は違う。エーキュエの物語は、今でもこうしてゆっくりと伝わってゆき、そして長きに渡り語り継がれていくのでしょうな。
 さて、私がエーキュエを訪れたのは、私がちょうど、そう、あなたぐらいの歳の頃でした。
 『水の都』。エーキュエは当時そう呼ばれていた。私の生まれ故郷には海がありましたが、故郷を離れてから訪れた国々には海がなかった。
 エーキュエは海沿いにあるという話を聞いていたので、私は久々に海が見られると大いに期待してエーキュエに向かって旅をしていましたよ。
 そしていよいよエーキュエを前にした時、私は思わず絶句しました。確かにエーキュエは海沿いにあった。ですが、陸側に沿っているのではなく、何と海の中に都市が浮かんでいるんです。
 ええ、凄いでしょう?私もとても信じられませんでした。水上都市、とでも言えば良いんですかね。どう見ても島の上にあるわけではなく、都市自体が水の上に浮かんでいるんですから。
 それと、もう一つ驚いたことがありました。それは、海が澄んだ青色だったことです。私の故郷では海は虹色でしたからね。
 ははは、あなたにとっては虹色の海も驚きですか。そうですか、あなたの知っている海は白いんですね。
 そして何と、その水がしょっぱいものだからまた驚きです。故郷の海は蜂蜜のように甘かったものですから。
 とにかく、私は海と、そこに悠然と浮かぶ緑の多い都市の光景に、しばらく身動きもできずに圧倒されました。
 ひとしきりその光景を堪能した後、私は海辺にあった停泊所の主人に頼み、エーキュエまで船で運んでもらいました。船から海を見ると、澄み切った水の中に見たこともない魚や動物がいました。巨大なトカゲのような生き物から、蛇のように長い魚まで、とにかくたくさんの生き物がいましたよ。
 船がエーキュエに近付くと、その構造が少しだけ見えてきました。水面に出ている都市部の下には、水の中に沈んでいる地下のような部分があった。私は、おそらくその部分が浮き輪のような浮力になっているのだろう、とその時は推理しました。
 更にエーキュエに近付くと、水上に低いゲートのようなものがあり、船はそのゲートを開けてもらって中に入りました。船長に聞くと、この辺りの海は獲物が豊富なので、獰猛なサメや、肉食の巨大なイカが生息しているため、それらが入って来られないようにエーキュエの周りは鉄製のフェンスで囲ってあるんだそうです。
 そしてついに、私はエーキュエに上陸したんです。浮かんでいるのだから揺れるのではないかと心配していましたが、とても安定していて、陸地にいるのと全く変わりませんでした。
 エーキュエは全体的に白い建物が多く、木々もたくさん植えられていたので、白と緑の、とても清潔感のある都市でした。ですが、よく見ると、その白い建物は管やパイプが目立つ。近付いてみると、何と建物は白い石材を使っているわけではなく、外壁まで全て機械仕掛けになっていたんです。
 私を乗せてくれた船の船長に聞いてみると、鉄のような灰色をそのまま使うと、都市全体が暗いイメージになるので、全て白くしているんだそうです。
 さて、それから私は都市の中に入っていきました。そこからは驚きの連続でしたよ。まず、見たこともない乗り物が都市の中を無数に走っている。しかも、その乗り物は不思議なことに、動物に引かせているわけでもないのに、自分の力で人を乗せて動くんです。
 それとは別に、人が歩くスペースは全て道自体が動いていて、立っているだけで移動できてしまうんです。面白いのは、立っているだけも進むのに、その上を歩いている人がたくさんいることですね。急いでいるのかも知れませんが、だとしてもせわしない人が多すぎる。
 それだけじゃありません。上を見上げると、建物と建物を結んで、橋のように道がいくつも走っているんです。
 他にも、建物の入り口が近付くだけで開いたり、上の階に上がるための動く階段や、垂直に昇っていく箱。とにかく、全てが機械によって動いていて、人々はとても便利に暮らしているようでした。
 それに、エーキュエはとても豊かな国でもありました。何しろ、周りは海に囲まれているので、食料には全く困らない。ああ、ところで、海産物の料理はとても美味しかったのですが、パンの味はひどかった。どうやら、陸のものの調理は下手らしい。
 でも、市場はとても活気があって楽しかったですよ。見たこともない食材がずらりと並んでいて、どれも今さっき捕れたばかりの新鮮なものだ。海辺で釣りをしていた人に、釣り上げたばかりの魚をすぐに焼いて振舞ってもらいましたが、あれは格別でした。
 海の水がしょっぱいと、魚に何の味付けもしなくても、ちょうど良い塩気なんですよ。海がしょっぱいのはどうかと思いましたが、ああいう利点もあるんですね。
 おっと、話がそれましたね。食料だけでなく、エーキュエは海で取れる宝石や海産物の交易がとても上手く行っていて、経済的にもとても豊かだったんです。
 ですが、私はどこか落ち着かなかった。人々の愛想があまり良くなかったことも一因ですが、それだけじゃない。何か、都市全体に異様な『危うさ』があるように感じたんです。
 そう感じる根拠が何なのか、自分でもその時は分かりませんでした。
 とにかく、私は何日かエーキュエに滞在し、いつものように生活資金を集めるために手作りの楽器を売っていました。
 ええ、私は楽器造りが趣味なんです。そう、この荷物もほとんどが楽器です。昔から造り込んでいるものですから、とても良い音を奏でるんですよ。
 エーキュエでも、私の楽器は中々の人気でした。そんなある日、さっそく私の噂を聞きつけたのか、エーキュエの領主からの使者がやってきて、私は領主の家に招かれることになったんです。
 エーキュエの領主の名はオク・イエン。四代目の領主で、音楽好きで有名でした。そこで、楽器を作っている私の噂を聞いて呼び立てたというわけです。
 オク・イエンは私の楽器にとても興味を示してくれて、色々と楽器について尋ねてきたり、音楽について話したりしていました。
 そうしている内に、ふとオク・イエンが思い出したように私に、
「ヨール。君はエーキュエに滞在中、住むところは決まっているのかね?」
 と聞いてきたので、私は正直に決まっていないことを告げました。すると、
「ならば、ここに滞在するといい。その間、私のためにいくつか楽器を造り、弾き方を教えてくれ」
 と言ってきました。私にとってはありがたい話だったので、断る理由もなく、承諾しようとしたのですが、すぐにオク・イエンのお付きの男がそれを諌めました。
「イエン様。そのように簡単によそ者を招いては・・・。以前にも怪しげなよそ者を泊めて、危うく暗殺されかけたことがございましょう」
 なるほど、付き人の言うことももっともだ、と私は思いましたが、オク・イエンは突然持っていた杖で付き人を殴り付けました。
「お前のような付き人が、私の決定に文句をつける気か!」
 オク・イエンはそう怒鳴りながら何度も付き人を杖で叩き続けましたよ。私はあまりに突然のことに呆然として、しばらく止めることすらできませんでした。
 ようやく私がはっと気が付いて止めに入ろうとしたとき、後ろから声がしました。
「イエン様、何をしておいでかな?」
 その老人の声に、オク・イエンはピタリと叩くのを止めて、すねたようにそっぽを向いてしまいました。どうやら大臣だと思われるその老人は、老練でオク・イエンも頭が上がらない様子でした。
 大臣に小言を言われながらふて腐れるオク・イエンを見て、私は町にいるときに感じた『危うさ』を何となく理解しましたよ。
 領主が、一国を治める者としてはあまりにも器量が小さい。短気で、危機感もなく、判断力にも乏しい。おまけに自己中心的だ。そして、それは領主だけに言えることではなく、エーキュエの国民はみな、どことなく同じような傾向を持っているように思えました。
「旅の方。今夜はもう遅いので泊まっていきなさい。ただし、明日にはお帰りいただくことになるだろう」
 大臣はそう言うと、オク・イエンを連れてどこかに行ってしまいました。私は部屋を一つあてがわれ、ともかくそこに一泊していくことになったのです。
 ところが、夜も更けた頃、思いもよらぬ客が私の部屋を訪れたんです。ノックの音にドアを開けると、そこには屋敷の侍女が立っていました。
 侍女はさっと部屋の中に入ると、ドアを閉め、私の腕を掴んで窓の近くまで引っ張りました。私が訳も分からずその侍女の顔を眺めていると、侍女は口を開きました。
「逃げた方が良いわ。あのバカ領主、大臣の説教を変な風に勘違いして、あなたを刺客だと勘違いしている。ここにいればもうすぐ殺されるわ」
 私はその言葉の意味をしばらく理解できませんでした。そりゃあそうでしょう?そんな突拍子もない話を突然されても、とても簡単には信じられない。ですが、同時に、あのオク・イエンならそれもあり得る、とも思ったんです。
「例えそれが本当だとしても、何故この屋敷の侍女である君が私にそれを教えて、逃がそうとしてくれるんだ?」
 私がそう聞くと、その侍女はカーテンをロープに作り変えながら、「すぐに分かるわ」とだけ答えました。
 そして、ロープが完成すると、窓からそれを吊るして、私たちは部屋から逃げ出すことに成功しました。
 屋敷を離れると、侍女が改めて自己紹介をしてくれました。
「私はメアリン。これから、あなたについてきて欲しい場所があるんだけど・・・」
 そう言われて、私はすぐに承諾しました。何しろ、命の恩人の言うことですし、それに旅人というのは、普通の人よりも好奇心が強い生き物なんです。このままメアリンについて行けば、普通では見られないエーキュエの一面が見れる。そんな気がしたので、断る気は毛頭ありませんでした。
 メアリンについていくと、私は町の狭い路地裏から、下に降りる階段に連れて行かれました。どうやら地下に続いているらしいのですが、水上に浮かぶ都市の地下と言うことは、海の中ということですから、私は少し緊張しました。
 地下に下りると、そこには信じられない光景が広がっていました。天井を駆け巡る数多くのパイプ。唸りを上げる剥き出しの機械。雑多に転がっている壊れた機械や部品。そして、その全てが錆の赤茶けた色で、酷く鉄っぽい匂いを放っていました。
 水上の都市からは想像も付かないような不気味で薄汚い空間でしたよ。光があれば影ができる。その地下都市は、正にエーキュエの影の部分だと言えました。
 メアリンの話では、上に出ている都市と同じ分のスペースの地下空間があり、上の生活に適応できなかった者、排除された者、逃げ出してきた者、その他訳ありの人たちが地下に住み着いているのだそうです。
 地下にはあちこちに薄汚れたテントのようなものがありました。地下では、天井の水道管から水滴が漏れてくるため、皆テントを張って生活しているんだそうです。
 そして、メアリンはその地下都市のボスの所に私を案内するのだと言う。足元をネズミが走る中、私はメアリンの後をついて行きました。
 その道中、メアリンは私にエーキュエの構造を説明してくれました。私が浮き輪のようなものだと思っていたその地下空間は、実はそうではなく、エーキュエを浮かしておくための動力源となる機械を置くスペースなんだそうです。
 その機械は、海水をエネルギーにしていて、つまりは故障しない限りはほぼ永久に動き続けるんだとか。そして、その動力源はエーキュエ全体を水上に浮かせるだけでなく、都市の中にある全ての機械を動かしているのだそうです。
 エーキュエがとてつもない技術力を持っていることを、私はそれを聞いて改めて実感しました。何しろ、人々は海の上にいる限り、半永久的に快適な生活が約束されているわけですから。
 そんな話を聞いている内に、私たちは目的の場所に着きました。そこには大きなテントが張られていて、中には目つきの悪い男たち好き勝手なところに座り込んでいました。
 その一番奥で、地下都市のボスだという男が数人の男と何やら話しこんでいました。彼の名はアンデ・エルシア。ごつい大男を想像していましたが、意外と精悍な感じの男でしたよ。
 メアリンがお互いを簡単に紹介すると、アンデは立ち上がり、私に握手を求めてきました。私が彼の手を握ると、彼は最初にこう質問してきました。
「『上の』エーキュエはどうだった?」
 私は自分が感じた通りの感想を良い、そして、私の感じた『危うさ』のことも話ました。すると、アンデは楽しそうに笑い、私の肩を叩いた。
「なるほど、危ういか。中々鋭いな。気に入った。お前の感じたその危うさの原因を説明してやろう。それはな、この水上都市だ。上にいる連中は、ここの便利さに甘えて、危機感を失って、生きることへの努力を止めちまったんだ。こんな機械に頼り切っているから危ういのさ!」
 アンデはそう言いながら、自分の横にあった機械を蹴飛ばした。どうやらそれは例の動力源の一つのようでした。
 アンデは続けて、そんな腐敗したエーキュエに必要なものはなんだと思うか、と質問してきたので、私は分からないと首を振りました。すると、彼は笑みを浮かべて、
「それは革命だ!」
 と力強く言ったんです。そして、彼は私に、彼のいう革命とは何かを説明し始めました。
「俺たちはこんな見せかけの快適さを与える場所に住んでいるべきじゃない。だから、俺たちはこの水上都市を棄てる。上の連中も無理矢理追い出す」
 そう言うと、アンデは簡単な地図を私の前に広げて見せました。それは、エーキュエを上から見た図のようでした。
 エーキュエはいくつかのブロックに分かれていて、それぞれのブロックは何本かの橋で繋がっています。まず、中央に広場のある大きなブロックがあり、それを六角形にやや小さめの六つのブロックが囲んでいて、そのそれぞれのブロックから、更に小さなブロックがいくつか繋がっている。これが、エーキュエの簡単な構造です。
 その地図を見せながら、アンデが説明を続けます。
「それぞれのブロックには、いくつかの浮力を作る動力がついている。だが、エーキュエ全体の浮力は七割をこの中央のブロックが作り出している。そこで、俺たちがこの中央のブロックの動力源を同時に全て破壊するんだ」
 私はそれを聞いて耳を疑いましたよ。そんなことをすれば、エーキュエ全体が沈んでしまうんですから。私は反論しました。
「そんなことをすれば、間違いなく多くの死人が出る。それをどうするつもりだ?」
 ですが、私がそう言うと、アンデは言い切りました。
「この泥沼の状況を打破するためには、多少の犠牲は仕方ない!」
 私は唖然としましたよ。ですが、そんなことも構わず、アンデは話を続けました。
「この地下には、上の連中や、この水上都市に対して反感を持っている連中が大勢いる。そして、俺たちはそういう人間を集めて、この計画を実行に移すだけの人員を得たんだ。どうだ?お前も仲間にならないか?」
 つまり、アンデたちは言わば『地下反乱組織』というわけです。メアリンはオク・イエンの家に侍女としてスパイに行っていたそうです。そして、そこで命を奪われかけた私が、オク・イエンに恨みを抱き、アンデたちに協力すると踏んだんでしょうね。
 ですが、私は理由を言わずにそれを断り、早々にその場を立ち去りました。帰り際、アンデが私に、計画のことを漏らせばお前を殺すことになる、と念を押してきましたがね。
 確かに、アンデ・エルシアはオク・イエンに比べればよほど『指導者』として優秀であるように思えました。「〜すべき」という表現を好んで使い、理屈っぽくて、説教好きな人物でしたが、堅実で、理想が高く、指導力もありました。
 ですが、やはり何かが欠けているように私には思えたんです。アンデがどうと言うより、エーキュエという都市自体が、水上都市にしろ地下都市にしろ、何か欠けていていて、それが人々にも影響している。そんな感じでした。
 そして、私が感じていた『危うさ』の原因も、ようやく全てがはっきりしました。領主の無能だけでなく、ほんの一部の動力を奪われただけで脆く沈み行く都市の構造と、いつその動力を破壊してもおかしくない人々を抱えていることがその原因だったんです。
 しかも、エーキュエの国民たちは恐ろしいほどそのことに無自覚で、全く危機感を持つことなく、便利で気楽な生活を送っているのです。
 言うなれば、足元に地雷がある場所で、大喜びで踊っているようなものです。
 私はもはやこの国での滞在を楽しむ気にはなれず、翌日には旅の準備を整え、その次の日にはエーキュエを出ることを決めました。
 ええ、特に誰に警告しようとか、領主に報告しようとか、ましてアンデたちを説得しようなんて思いませんでしたよ。
 非情だと思われるかも知れませんが、その国の問題は、その国の人々が解決するべきことです。と言うより、その国の人々でしか解決はできません。そのことは、私自身の経験からはっきり言えます。
 よそ者の私が口を出したところで、後退こそしても、何も進展することはありませんよ。それに、私自身エーキュエの在り様はどこか間違っているような気がしていましたし、そんな国に訪れた他の国の人々がエーキュエを人間のあるべき姿だと思ってしまうようならば、沈んでしまった方が良いのかも知れない、とも思いました。
 さて、話はまだ続きます。その翌日のことです。私が旅の準備のため、市場で食料を買い込んでいると、メアリンが突然私の前に現れたのです。
 私が何か用かと尋ねると、メアリンは先日と同じように私の腕を掴むと、
「行きましょう」
 と言って私を引っ張ってどこかに連れて行くのです。私が事情の説明を求めると、メアリンはやはり先日と同じように、
「逃げた方が良いわ」
 とだけ言いました。
 しかし、私はその言葉と、メアリンの緊張した表情を見て理解しました。アンデたちの計画がその日に実行されることになったんです。
「もうあまり時間がないの。船が用意してあるわ。よそ者のあなたを巻き込みたくないから、一緒に岸まで連れて行ってあげる」
 私がそれ以上何か言おうとする前に、私たちはメアリンが用意した船が停めてある場所に着き、メアリンは私を中に押し込むと、有無を言わさず船を出しました。
「中央ブロックの動力源に時限式の爆薬を仕掛けたの。アンデと仲間たちのほとんどは既に陸に上がっているわ」
 メアリンがそう説明した頃、私たちはエーキュエの水上ゲートを抜けて、岸に向かって速度を速めました。
 そして、アンデたちがいる岸まで後少しというところでした。後方から大きな爆発音が聞こえたのです。私が振り向くと、しかしエーキュエはさっきまでと同じようにそこにありました。地下で起こった爆発だったので、直接上の都市には被害は出なかったのでしょう。
 しかし、私たちが岸に辿り着いた時には、エーキュエは徐々に沈みつつありました。実際には、高い建物が見えているだけで、地面はほとんど沈んでいるようでした。
 遠目に見ると一層美しかった水上都市エーキュエが沈んでいく様を呆然と眺めていると、アンデがこちらに歩み寄ってきました。
「オク・イエンはこの時間食事中だ。実際に水が入ってくるまで、自分の国が沈んでいくとは夢にも思わず、優雅に食事を楽しんでいるんだろうな」
 アンデは「いい気味だ」とでも言いたそうな表情でそう言いましたが、私は特に返事もせず、黙って聞いていました。
「地下都市にも、俺たちの組織に入らなかった者や、計画を知っていてあえて逃げなかった者が、まだかなり残っている。地下には水が入りにくくなっているから、そういう連中は自分たちが海に沈んでいくのも気付かないんだろうな・・・」
 オク・イエンのことを言っていた時とは違い、そう言うアンデの顔は少し寂しそうでもあり、悲しそうでもありました。あの地下都市はアンデにとっても故郷であり、そこの住人は彼にとって一種の仲間だったんでしょう。
 しばらくすると、もうほとんどエーキュエの姿は見えなくなっていました。あれほどまでに発達した技術を持っていた国が、いとも簡単に海の底に沈んでしまったのです。機械で作られた楽園はまるではりぼての様に脆い。私はそんな風に感じました。
「ヨール、見ろ。エーキュエから逃げてきた連中がこっちに泳いでくる」
 アンデに言われて視線を上げると、エーキュエのあった方から大勢の人々が、まるで魚の大群が押し寄せてくるようにこちらに向かってくるのが見えました。
 その時、私は初めてエーキュエに来た時、船の船長から聞いた話を思い出しました。この辺りにはサメや、肉食の巨大なイカがいるはずです。
 そう思った途端、まるで食材を選りすぐるように人々の間を縫って進む背びれと、海の中から生えてきた巨大な数本の足が見えました。
 一人、また一人と、泳いでくる人々が見えなくなっていきました。とはいえ、サメや巨大イカの数に比べれば、泳いでくる人々の方が遥かに多い。岸まで辿り着く人の方が圧倒的に多いでしょう。
 しかし、人々が岸に近付いて来るに連れて、いつ自分が餌食になるとも分からない状況で、恐怖と絶望に歪んだ人々の表情が見えてきました。そして、私が見ていた顔が、海の中へと引きずり込まれていくのです。
 あまりに無残で、凄惨な状況でした。そんな地獄のような状況に陥った人々を見ながら、アンデが更に口を開きました。
「見ろ。あの必死で生にしがみつこうとする形相を。生きようともがく姿を。今まで機械に頼って、楽に、当たり前に生きてきた連中が、今ようやく生きることに努力している。あれが人間の本来あるべき姿だ」
 私はなおも黙ってそれを聞いていました。
 アンデの言うことは正しいのかもしれません。機械で作り上げた世界はあんなに脆かったのに、そこから逃げてきた人々は強力に生きようとしている。本来、人が生きようとする姿勢は強靭なものなのかもしれません。
 ですが、例えアンデの言っていることが正しいとしても、やっていることが正しいとは、私は思いませんでした。あそこで必死に生きようともがく人々が本来の姿だ、と語っているアンデ本人はここに、この安全で、生きていることが当たり前な陸にいる。
 海の中で必死に泳ぎ、死と競争し、生きることへの意志の強靭さを体験している彼らに対し、アンデはただ理屈でそれを解説しているに過ぎなかったんです。
 私は、彼らが陸に辿り着く前にその場を立ち去ることに決めました。背中を向けた私に、アンデが声をかけてきました。
「もう行くのか?連中がここに着くまで見ていかないのか?」
 私は陸に着いてから初めて、アンデの言葉に答えました。
「彼らが陸に着いてから、ここに新しい国ができるだろう。私は、数年後再びここを訪れて、その国をゆっくり見物させてもらうよ」
 そう言って、私はエーキュエを後にしました。
 陸にいるアンデたちと、陸に辿り着いた彼らと、どちらがより強靭な意志をもって新たな国を作り出すのか、もしくは作り出さないのか、それがこの旅を続ける上での私の楽しみの一つです。
 ですが、きっと今ごろはもう、新たな国が作られているんでしょうね・・・
 え?何故エーキュエの話をあなたにしたか、ですか?そうですね・・・あなたが機械工だと聞いて、ふと思い出した。ただそれだけです。
 それと、老いた旅人は、物語を語りたがる。ただそれだけのことですよ。
 おっと・・・どうやら私の目的地に着いたようですな・・・
 では、私はこれで失礼しますよ。また、何か縁があったらお会いできると良いですね。マックハインまでの道中、気を付けてください。
 ああ・・・それと、あなたがこれから何を作り出すのか、楽しみにしていますよ。
 ええ、では・・・
 ・・・ふふ・・・エーキュエは、今のマックハインなんですがね・・・
 さて、と・・・東はどっちかな・・・


 3  神々の国 ジオード


 いやぁ、本当に助かった。まさかこんな何もない道の途中で嵐に出くわすとは、私も運が悪い。
 しかし、すぐにあなた方の家を見つけられたのは不幸中の幸いだ。よもや、こんな場所に家があろうとは、思ってもみなかった。本当に、快く入れてもらって感謝するよ。私の楽器たちもそう長く雨に打たれていては音が悪くなってしまうからね。
 そう、この楽器を売りながら方々を旅して回っているのだよ。ああ、紹介が遅れたね。私はヨール・ネイ。しがない旅人だ。
 ははは、心配してくれるのかね。確かに、私のような老体がウロウロと旅をしているのは不思議に思えるかもしれない。しかしね、私は若い頃から旅を続けてきた。一所に留まることには慣れていないし、こういう生活の方が落ち着くんだよ。
 今は東に抜けて隣の国を目指している。ああ・・・ありがとう。とても美味しそうなスープだ。君は良くできたお嫁さんだね。そう、私は西の果ての生まれなものでね、東へ東へと旅を続けているんだ。
 ああ、それはもう色んな国を見てきたとも。もちろん危険もたくさんあった。辛いことも、悲しいことも。だが、それでも旅を続けるのは、楽しいことや、感動することがそれ以上にたくさんあるからだ。学ぶことも多い。それは、こんな歳になっても変わらない。
 あなた方は、見たところ新婚の夫婦のようだが・・・何故こんな町から離れた辺境の地で暮らしているのかね?差し支えなければ、聞いてもよろしいかな?
・・・ほう、なるほど。身分の違いから結婚が許されずに・・・それでこんなところまで駆け落ちをした、というわけですか。ははは、最近では珍しい、ご主人は若いのに気骨のある人だ。中々できるものではない、裕福な暮らしを棄て、貧しい生活に身を投じるなどということは。
 だが、まだ気を抜いてはいけないよ。これから様々な困難があるのだから。あなた方の選んだ道は、決して平たんで真っ直ぐな道ではない。
 そうだ。暖かい食事と宿のお礼と言っては何だが、一つ私の旅の話をさせてもらってもよろしいかな?あなた方が聞いておいて損はない話だ。さあ、奥さんもこちらへ。暖炉の側にお座りなさい。
 あれは、そう、私がもう五十代に手が届こうかという頃のことだった。次の目的地と定めていた国への旅路の途中、私は近くに小さな国があるという噂を耳に挟んだ。何しろ、誰が待っているわけでも、まして急ぐ必要があるわけでもない。私はその国に立ち寄ってみることにした。
 噂で聞いた場所に大体の見当を付けて、私は遠くに見える山脈を目指して歩き始めた。その山脈がとても綺麗で、頂上の辺りに薄っすらと雪をかぶっていて、それが見渡す限り果てしなく続いているようだったよ。
 その山脈のふもと辺りに辿り着いた時、私はすぐにその町を見つけた。その山は、ごつごつと灰色の岩が切り立っていて、半分岩山のようだったんだが、その斜面に大小様々な建物が並んでいたんだ。
 壮絶な景色だったよ。これまで、町というものは平地に作るものだと思っていたからね。まるで巨大な階段に町を作ったような、そんな雰囲気だったよ。町の一番上の辺りは、もう山の頂上にかなり近くて、薄っすらと雲がかかっていた。
 その建物というのも、ほとんど全部が岩肌と同じような灰色をしていた。恐らく、山の岩を材料に建物を作っているんだろうね。そして、町を見渡して目に付いたのが、あちこちに建てられた大きな神殿だ。私が立っていた場所から町中が一望できたが、数十という神殿があったよ。
 だが、その中でも一際大きな神殿が六つあった。山のふもと辺りに一つ。山の中腹に四つ。そして、最も大きな神殿が町の一番上に建てられていた。それだけじゃない。町全体も、これらの神殿を取り囲むようにして六つの区画に分かれているように見える。これにはちゃんと意味があるんだが、その時はただ不思議に思っただけだったよ。
 ともかく、私は町に入るにはふもとの区画からしかないのを見て、まずはそこに向かった。しかし、ふもとの区画は壁に囲まれていて、中々入り口が見つけられない。ようやく門を見つけ私はそこから町の中に入った。
 だが、町に入って数歩も歩かぬ内に、私は黒い法衣を纏った数人の男に取り囲まれてしまった。驚いたが、今までにこんなことがなかったわけではないので、私は警戒されないよう、自分がただの旅人であることを告げたよ。
 すると、一人の男が、部外者は災厄を運んでくる可能性があるため、町に入るにあたって審査がある、ということを教えてくれた。私はふもとにあった神殿の一つに連れて行かれ、そこで荷物の検査と、名前や滞在予定日数などを尋ねられた。
 その後、私は神殿の奥に通されて、やはり黒い法衣を来た背中の曲がった婆さんの前に座らされたんだ。婆さんは何やら怪しげな儀式を私の前で済ますと、後ろに控えていた男に、
「この者は『風の民』。ヴィンダー様の元に置くのがよい。災厄はない」
 と告げた。言っていたことの意味はその時はまったく分からなかったがね、私が『風の民』だというのだけは、妙に納得してしまったよ。
 とにかく、私はこうして町に入ることが許可された。だが、同時に条件が出された。町を上るとき、つまり、中腹の区画に行く時は、必ず西の門を通って入ること。そして、町に居る間はその西の区画に滞在すること。この二つだ。
 もちろん、他の区画に立ち入ることも許されていたが、他の区画に寝泊りすることは許されなかった。いや、正確には許されなかったわけではなく、「その場合、どのような災いが降りかかろうとも責任を取らない」と言われたのだ。それで、とにかく西の区画に滞在するに越したことはなさそうだ、と判断したというわけだ。
 さて、町に滞在することが許された私は、さっそくまずはふもとの区画を見て回ることにした。ふもとの区画には建物も少なく、人影もあまりなかった。居住区画ではないのかと思ったんだが、それは違った。山のふもとには洞窟が点在していて、この区画に住む人の大半がその洞窟で暮らしているんだそうだ。
 ある程度その区画を見て回ると、私は言われた通り西の門をくぐって山の中腹に上がった。私は門をくぐって目を疑ったよ。ふもととは違い人通りが多く、活気に溢れていたんだ。ふもとの区画に比べて清潔感もあるし、子供の遊ぶ声や、商人の呼び声なんかが聞こえていた。
 その落差に戸惑いながら、私は自分が滞在するこの区画を見て回ることにした。まず目に付いたのは彫刻だった。町の至る所に人物を象った石像が置かれているんだ。
 見事な彫刻だったよ。とても細かく、それでいてとても力強く、美しい。私は一つ一つ彫刻を眺めては感嘆の息を漏らしたものだ。
 そんな風に彫刻を眺めていると、ふと後ろから声が聞こえた。
「風の神ヴィンダー様の像です」
 私が振り返ると、一人の青年が軽く頭を下げた。彼は、珍しそうに像を見ているのは旅の方だけだと言い、私に町を案内しようと申し出てくれた。それがガルエとの出会いだった。
 ガルエは町を案内しながら、この国のことを色々と教えてくれた。
 まず、この国はジオードといい、多神教を礎にして築かれた国なんだそうだ。ジオードでは その神々が登場する神話があり、町の至る所にある石像はその神話の一場面を描き出したものなのだそうだ。
 その神話というのがとても興味深いんだ。良いかね?話してあげよう。
『始めに二人の神がいた。光の神リグハートと闇の神ディエラーク。二人の神は世界を創造することを決めた。
 まず四人の子を創った。火の神ファーラム、風の神ヴィンダー、水の神ベイトール、土の神ジロンド。
 火の神ファーラムと風の神ヴィンダーは光の神リグハートに従って天を創り出した。
 水の神ベイトールと土の神ジロンドは闇の神ディエラークに従って地を創り出した。
 こうして世界が生まれ、四人の神はそれぞれ自分たちの創り出したものを管理することとなった。
 光の神リグハートは天に浮かび、四人を監視する役目を担い、闇の神ディエラークは地に潜り四人を支えた。
 こうして、世界は安定を得た。』
 大筋はこんなところだ。更に細かい物語がたくさんあるようだが、それを話していては切りがないので止めておこう。
 とにかく、明確な宗教を持っている国というのは、私が旅してきた中でもとても少ない。多くの国々は漠然と神を信じている程度で、特に信仰をもっているわけでもなかったし、宗教のある国でも多神教を信じているのはこのジオードだけだった。
 そして、このジオードという国自体も、この神話に基づいて成り立っているんだ。もう気付いたと思うが、私が見た六つの神殿はこの六人の神々を祭る神殿で、それぞれの区画にはそれぞれの神の民が住んでいる。
 六人の神々はそれぞれ自分たちの領域を治めるために人を創造したそうだ。つまり、ジオードに来たときに私が会った占い師の婆さんは、私がどの神の民に属するかを見たというわけだ。
 それぞれの民は国のために別々の役割を担っている。火の民は文字通り火を管理し、風の民は食料の中でも肉を、水の民は水を、土の民は野菜や果物を管理している。それをお互いに分け合うことでジオードという国が成り立っているというわけだ。
 それぞれの民が国を、国民の生活を支える上で不可欠なものを管理する。そしてお互いにそれを共有する。そうすることによって秩序が生まれ、それぞれの民がお互いに争うことも少なくなる。ある意味でとても画期的な構造と言えるかも知れないね。
 ん?他の二つの民は何をするか、かね?さっきの神話でも分かっただろうが、光の神リグハートと闇の神ディエラークは神々の中でも上位に位置する特別な神だ。それ故、その民も国にとって特別な役割を持っているんだよ。
 まず、光の民は町の上層部にその区画を構え、国の秩序を守るための法を作ったり、国全体の意向を決定する役割を持つ。王国で言えば王のようなものだ。
 そして、闇の民は光の民の作った法の執行者という役割を担っている。常に町の隅々に目を光らせ、法を犯すものがあれば裁きを与える。罪の度合いによってはその命を奪うこともある。
 この二つの民は言わば特権階級だ。国の管理者たる責務を負い、他の四つの民よりも強力な権限を持っているんだよ。
「これにより、この国は完全なる秩序を保っている」
 私が出会った光の民の一人がそう言っていたよ。
 互いが互いを必要とし、各々が責任ある仕事をすることで国のために働いているという意識を持っている。確かに、ジオードは強固な地盤の上に立っていると言えるだろう。
 さて、話を戻そうか。どこまで話したかな・・・。そうそう。私がガルエと出会って町を案内してもらっていたところだったね。
 ガルエは山の中腹に位置する四つの区画を案内し終えると、私を光の民の区画に連れて行った。その区画は他と比べて特に美しかったよ。
 そもそも町全体がとても清潔感に溢れていて、彫刻だけでなく建築物にしても細部までこだわりが見られとても美しかった。だが、光の民の区画は別格だったよ。
 地面には四角いタイルが張り詰められているんだが、その一つ一つに見事な絵や柄が掘り込まれていて、区画の中央には光の神リグハートを描いた大きな彫刻の噴水が置かれていた。
 全体的に荘厳さと気品が感じられたよ。特に町の最上部にあった神殿は見事だった。数え切れないほどの柱が規則的に並んでいて、その柱の上下には植物を描いた彫刻がなされているんだ。そして、天井を見上げればそこには見る者を圧倒するであろう絵画が一面に描かれている。どの区画の神殿もとても素晴らしかったが、光の神リグハートの神殿は群を抜いていたよ。
 ああ、そうだ、神殿には様々な種類があるということもガルエが教えてくれたよ。最も大きな六つの神殿にはそれぞれの神が奉じてある。その他の小さな神殿は、供え物をするためのもの、祈りを捧げるためのもの、集会を開くためのもの、といった具合に、用途によって分けられているんだそうだ。
 さて、神殿を見終えて外へ出たとき、私たちは一人の女性に出会った。彼女はガルエの知り合いで、名をレイユという。レイユに会った瞬間、ガルエの態度が微妙に変わったのを、私は長年の経験ですぐに見て取ったよ。
 そう、二人は恋仲だったんだよ。だが、二人は何故か周囲にそれを悟られまいとするように、ただの友人同士という風を装っていた。私はその時、それは二人がまだ若いので恥ずかしがっているためだと思った。
 私たちはしばらくレイユと雑談し、レイユが私を後日食事に誘ったところで分かれた。レイユが立ち去り、私たちも風の民の区画に戻ろうと歩いている時、ガルエが滞在期間中は自分の家に泊まるようにと私を誘ってくれた。もちろん、私はありがたくその言葉に甘えることにしたよ。
 ガルエはとても誠実で、私にとっても好ましい人物であるように思えたからだ。実際、彼は私が滞在している間、楽器を売る店ができるよう家の一部を貸してくれたり、色々世話を焼いてくれたよ。
 そうして数日が立った時、私とガルエはレイユの誘いで彼女に家に食事に招かれることになったんだ。
 レイユの腕が良かったのだろう。食事はとても美味しかったし、会話も弾んだ。そして、そんな会話の中で、私がこう尋ねたことで、事態は意外な方向に進むことになった。
「二人は結婚しないのか」
 私の問いはただそれだけだった。しかし、その言葉と同時に二人は口を閉ざし、表情に陰りが出た。しばらくの沈黙の後、ガルエがレイユに向かって呟くように口を開いた。
「レイユ。ヨールさんに相談してみてはどうだろう。ヨールさんならば、必ず力になってくれると思うんだ」
 ガルエがそう言うと、レイユは戸惑ったように私とガルエの顔を交互に見た。
「だけど・・・ガルエ・・・そもそも関係のないヨールさんを巻き込んでしまうのは・・・」
 レイユの言葉を聞いて、私はガルエには恩もあるので、できる限り力になりたい、と二人に告げた。すると、レイユもようやく頷き、ガルエが私に事情を説明し始めた。
「実は、この国では他の神の民との婚姻、いえ、交際すらも認められていないのです。それぞれの民は、その民の内で子孫を増やし、その子孫にだけそれぞれの技術や知識が受け継がれていく・・・。そうやって秩序を保ってきたのです」
 そう、ジオードでは別々の民の男女が交わることを厳しく禁じていたのだ。二人の交際が知れれば、二人は罰せられることになる。場合によっては死罪になることもあるそうだ。
 つまり、この二人は以前のあなた方と同じような立場にあった。そこで、ジオードとはなんら関係のない私ならば、何か打開策を見つけてくれるのではないかと思い、助力を求めてきたというわけだ。
 私はその事実に驚きつつも、何とか二人の力になってあげたいと思い、頭を悩ませた。何しろ、二人はとても良い夫婦になると感じたのだ。
 私は考えを巡らす内、光の民がジオードの法を司っていることを思い出し、光の民の中で強い発言力を持つ、地位の高い人間は誰かと二人に尋ねた。すると、二人は口をそろえてそれは大司教様だと答えた。
 そこで私は、二人にその大司教に直接交渉をしてみてはどうかと提案した。何しろ、レイユ自身も法を司る光の民の一人だからね。一つの提案として交渉してみることは少なからず可能性のあることだと思ったんだ。
 二人はしばらく迷っていたようだったが、私もその交渉の場に立ち会うことを告げると、ようやく決心したよ。私たちは、さっそく翌日、大司教に交渉してみることに決めた。
 ちなみに、司教というのは、神の言葉を聞き、それを民に伝える神の代弁者なのだそうだ。それぞれの区画にそれぞれ司教がいて、それを総べるのが光の民の長たる大司教というわけだ。
 そして翌日、私たちはその大司教を尋ねたんだ。神の代弁者といっても、特に普通の人と変わりはしない。長い髭をたくわえた、頑固そうな初老の男だった。
 二人は大司教に事情を説明し、法の改正を求めた。だが、二人の熱弁も実らず、大司教は首を横に振ったよ。
「それはできない。他の民と交わることを禁ずる、という法を変えるわけにはいかない。それを許せば、それぞれの民に固有の知識や技術が他の民に漏洩することにつながり、やがては今の均衡を崩すことになるだろう」
 それが大司教の主張だった。だが、ガルエは尚も食い下がった。
「ですが、私たちは愛し合っているのです!その深遠なる愛という感情を、法をもって引き裂くことが許されるのでしょうか!」
 ガルエがそう言うと、大司教は厳かな口調でこう言った。
「風の神ヴィンダー様の子よ。お前は四人の神々が光の神リグハート様と闇の神ディエラーク様の創り出した、言わば兄弟であることを知っているだろう。六人の神々は家族のようなものであることを知らぬわけではあるまい」
 大司教の問いに、ガルエは頷いた。すると大司教は続けて言った。
「家族が互いに愛し合うことは当然のことだ。だが、お前は愛し合っているからと言って実の家族と婚姻関係を結ぶか?そんなことはしないはずだ。同じように、別々の民同士が交わることはあってはならぬことなのだ。それは神々のあり方を愚弄することになるのだぞ?」
 この言葉に、ガルエは反論する術を失ったようにうな垂れてしまったよ。しかし、私は納得できなかった。大司教の言葉はこの国に生まれ育ったガルエにとっては強力な論理であったかもしれないが、私にとってはとても矛盾しているように感じたのだ。
 そこで私は、立ち去ろうとする大司教の背中に向かってこう言った。
「お待ちください、大司教殿。一つお尋ねしたいことがある」
 私の言葉に大司教は振り返ると、諌めるような口調で答えた。
「その問いに答えることは構わない。しかし、旅の者よ、その二人に肩入れすることは、そなたにとって良い結果にならぬということを心がけられよ」
 私はそれを聞いた上で、まずこう尋ねた。
「この国が生まれてからどれほどの月日が経つのか」
「神々が世界を創造してから我々が生まれた。数百年では足りないだろう」
「では、この国はその間、やはり今の法を守りつづけてきたのだろうか」
「無論だ」
 その答えを聞いて、私はいよいよ言いたかったことを大司教にぶつけた。
「それならば、それぞれの民はお互いにとても濃い血のつながりを持っていることになる。すなわち、兄弟のようなもの。そのような者たちの間では婚姻関係を結ぶことが許されるのは何故か」
 私の言葉に、大司教はワナワナと唇を震わせたよ。そして、搾り出すようにこう言った。
「旅の者よ・・・そなた、我らの神々を愚弄するつもりか」
「私はただ、疑問を口にしたまで」
 私が白々しくそう言うと、大司教はついに声を荒げて言い放った。
「我らはそうして今の秩序を保ってきたのだ!よそ者は口を出さないでいただこう!闇の民よ!この者たちを連れてゆけ!」
 大司教がそう叫ぶと、左右から黒い法衣を纏い、剣を手にした闇の民が数名進み出て、ガルエとレイユを拘束したよ。皮肉なことに、私が大司教への交渉を提案したばかりに、二人の関係がばれて、二人は罪人となってしまったのだ。
 闇の民が二人を縛り付ける間、大司教が私に向き直ってこう言った。
「旅の者よ。よそ者であるそなたを我が国の法により裁くことはしない。しかし、国の秩序を多少なりとも乱したことは許しがたい。旅の準備もあるであろう。多少の猶予は与える。明日の内にこの国を出られよ」
 そう言い捨てると、大司教は背を向けてその場を立ち去った。私はとにかく、闇の民に連れて行かれる二人について行くことにしたよ。何しろ、そうでなくともいずれはばれてしまったかも知れないが、私のせいで捕まってしまったことに違いはない。何とかしてあげたかったのだ。
 しかし、二人が闇の民の区画まで連れて行かれる前に、予想外の事態が起こった。光の民の区画の、例の噴水がある場所を通りかかった時、ガルエが突然叫び出したのだ。
「ジオードの民よ!聞いてくれ!この国は本当にこれで良いのか!一方的に決められた法を押し付けられ!闇の民による刑の執行を恐れ!愛する者同士が結ばれない・・・。そんな秩序が本当に幸福か!ジオードの民よ!今一度!今一度自分の心に聞いて・・・」
 そこまで叫んだ時、闇の民の一人がガルエの顔を殴りつけた。額から血を流すガルエに、涙で顔を濡らしたレイユが駆け寄ろうとしたが、闇の民がそれを阻んだ。
 しかし、ガルエは叫ぶのを止めなかったよ。山の中腹を抜け、闇の民の区画に連れて行かれるまでの間、何度殴られようと、彼は叫ぶのを止めなかった。そして彼らは、闇の民の区画にある暗い洞窟の中の牢に閉じ込められた。
 私は中にまでは入れなかったが、その洞窟の場所を確認すると一先ずガルエの家に戻った。なんにせよ、旅の仕度は整えておく必要があったからね。
 そうして食料の買出しに行った時、私はガルエの噂を耳にした。ガルエは国の秩序を乱す発言をして人心を惑わし、更にはジオードの神々を冒涜したことにより罪が重くなり、死罪が確定したという。明日には見せしめのため公開処刑が執り行われるということだった。
 私はいよいよ二人を助け出す決意を新たにしたよ。
 ところで、私は旅を続ける上で、行き着いた先の国のあり方には一切干渉しないと心に決めている。よそ者の私が干渉したことで何が変わるわけでもないし、その国のことはその国の民が解決すべき問題だからね。それに、そうすることが同時に私自身の身を守ることにもつながる。
 だが、今度の場合、私は国のあり方に干渉するわけではない。私は私の友人であるガルエとレイユのことに対して手を出したんだ。まあ・・・それは言い訳かも知れんがね。何しろ、私は自分のせいで死刑になろうとしているガルエを放っておくことはとてもできなかったんだ。
 さて、ガルエの噂を耳にすると同時に、私は町の中である変化があったことを察知した。ガルエの言葉に同調する者が現れ始めたんだ。もちろん、声を大にして同調する者はなかったが、明らかにその傾向が見える人々が少なからずいた。
 どうやら、この国の築いてきた秩序は一見して堅実そうに見えるが、その基盤はそれほど確たるものではなかったようだ。私はそう思った。
 とにかく、私は旅の準備を終え、夜も更け、明朝が近付いた頃に行動を開始した。まず、自分の荷物を町の外に一旦置いてきた。何しろ、見ての通り、私は楽器を持って旅をしているから、荷物が少なくない。それを持ったまま二人を救出するのは無理があるからね。
 それから再び町の中に戻ると、二人が捕らわれている牢のある洞窟に潜入した。洞窟の中に入って、私は思わず目を見張ったよ。土壁のような暗く、狭く、薄汚い場所を想像していたが、そうではなかった。
 洞窟の中はかなり広い空間が広がっていて、その中に人工的な建築物が建っているんだ。所々に挿してある松明の炎が、自然の洞窟と人口の建物を照らし出し、とても幻想的な空間を作り上げていた。私は滞在している間に洞窟の中を見物しなかったことをその時後悔したよ。
 もっとゆっくり見て回りたかったが、その時はそんな余裕があるわけもなく、私は素早く二人がいる牢のある場所を探し出した。
 もちろん、牢屋番は少なくない。だが、こう見えても私は危険の伴う旅を続けるにあたって、師をつけて武術や剣術を学んでいた。油断している相手ならば、殺めなくとも気を失わせることぐらいは容易い。
 そうして、牢屋番たちにはしばらく眠っていてもらい、鍵を借りると、私は二人の牢を開放した。
 二人は突然牢が開いたことに驚いていたようだったが、私の顔を見ると安心したように牢屋を出てきた。私は二人を連れて洞窟を出ると、なるべく人目に付かない道を選んで町の外に出た。
 町を出ると安心したのか、二人はしばらく抱き合っていたが、しばらくするとガルエが不安そうに私に声をかけてきた。
「ヨールさん、まさか助けにきてくれるとは思いませんでした。本当にありがとうございます。・・・しかし、逃がしてもらったところで僕たちには行く当てもない。路頭に迷っている間に追っ手に捕まるのが落ちです・・・」
 私はそう言って不安がる二人を、とにかく荷物の置いてある場所まで連れて行った。そして、二人に旅に必要な荷物を手渡した。
 そう、実は私はあらかじめ二人のために仕度を整えておいたんだよ。二人は荷物を受け取ると驚いたように私を見ていた。私は二人にこう言った。
「ここから西に向かって隣の国に行きなさい。そこに私の友人がいる。紹介状を荷物に入れて置いたから、それを見せれば世話してくれるだろう。良いかね?二人が幸せになるために最低限必要なのは国でも家でもない。二人が常に一緒にいることだ。そこに君たちの幸福がある。さあ、早く行きなさい。もうすぐ夜が明ける」
 そう言って、私は何度も礼を言う二人を送り出したよ。
 しかし、もちろん翌日になれば二人の脱獄がばれ、追っ手がかかる心配がある。そこで私は夜が明けてからもう一度町に戻り、二人の脱獄が知れるよりも先にその噂を町に流した。そうすることにより、ガルエの言葉に同調した人々が行動を起こすきっかけになると思ったからだ。
 そうすることでジオードは混乱するかもしれないが、その混乱が二人を無事に逃がすことにつながるはずだ。逃げ出したたった二人のために追っ手を出す余裕がなくなるだろうからね。
 それが済むと、私は早々にジオードを離れた。人の心配ばかりしていて、私が捕まったのでは意味がない。
 だが、私は隣の国に着いてそう長く経たない内にジオードの噂を耳にしたよ。あの後、私の予想通り、これまでの体制に不満があった民が各地で蜂起して抗議活動に出たらしい。
 そして、やがてその動きは大きくなり、ジオードの各地で小さな内乱がいくつか起こった。その結果、ジオードは二つに分裂することになったんだ。今までの体制のまま国に居座る人々と、ジオードを見限ってそこを離れ新たな国を立ち上げた人々。
 私がそれに肩入れしたように見えるかも知れないね。まあ、確かに少しはしたかもしれないが、私はほんの少しだけ時期を早めたに過ぎないよ。ガルエのことで、ジオードはどのみちそうなっていただろうからね。遅いか早いかの違いだ。
 ん?何故そんなに早くジオードの人々が動いたか不思議かね?ふむ・・・そうだな・・・この世には二つのものがある。変わっていくものと、変わらないものだ。そして、変わっていくものの中にもう二つある。すぐに変わるものと、ゆっくり変わっていくものと。
 国とはゆっくり変わっていくものだ。だが、国の中身である人の心はすぐに変わるもの。そこに矛盾が生じる。その矛盾に素早く対処できる国こそが、真に秩序がある国なんだろうね。
 ちなみに、ガルエとレイユや、あなた方の愛は、変わらないものであってほしいものだ。
・・・おっと、もうすっかり夜も更けてしまったようだね。申し訳ないが、私はそろそろ休ましてもらうとしよう。外はまだ酷い嵐のようだね。本当に助かった。
それでは、おやすみ・・・

 ・・・ああ、今朝はすっかり嵐も過ぎ去ったようだ。太陽も顔を出して、旅に良い天気になった。あなた方には本当にお世話になってしまった。感謝しているよ。
 ・・・なに?ガルエとレイユがどうなったか心配かね?
 ふむ、実は私もそれが心配で、少し前に二人を尋ねたんだ。なに、案ずることはない。二人は三人の子供を持って、幸せに暮らしていたよ。
 では、またこの辺りに来ることがあれば、お礼をもって伺わせてもらうよ。末永く幸せに暮らしていけるよう祈っているよ。
 ・・・良い夫婦だった。若い頃のガルエとレイユを見ているようだった。
 さて・・・じゃあ、次は彼らの国にでも寄り道してみようか・・・

 




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