暗黒の章 第26章 流れ行くもの

「今、世界的に自殺が大流行!!」
 普通の良識を持った人が聞けば、なんだそりゃ、と悪い冗談ぐらいにしか取らない言葉だろう。俺自身、数ヵ月前までは「何を馬鹿なことを」と鼻で笑って気にも止めていなかった。
 だが、それが紛れもない事実であると知るに至まで長くはかからなかった。とても笑えない事実であると。
「流行に乗り遅れてはいませんか!?我々○○旅行代理店では『世界、自殺の名所巡りツアー』をご用意しております!世界中の観光地と共に、絶好の自殺スポットをご案内する当ツアーでは、お客様のお好きな時、お好きな場所で…」
 安いCMだな…。俺はそんなことを考えながら、テレビの電源を切った。
 こんなコマーシャルが出回るまでに長い時間はかからなかった。国もこの現象を止める策もなく、止めるだけの権威も失っていた。
 こんなことになったのはいつからだろう…。少なくとも、俺がこの異常(いや、プライオリティーが迎合しているから「流行」であるならば、正常と言うべきか)に気が付いたのは、2ヵ月程前のある日のことだった。

 俺は大学のキャンパス内を歩きながら、自分の顔をでき得る限りしかめてみせた。
「何言ってんだ?馬鹿か?」
 俺の言葉に、一緒に歩いていた友人の勇二がむっとした顔になった。
「お前みたいな、世の中の動きに関心がない社会不適合者は知らんかもしらないけどな、世界じゃ本当にそれが起こってるんだ」
「お前に言われたくねえよ。反社会主義者め」
 俺は意地悪く笑ってそう言ったものの、勇二が冗談にしては真剣な顔をしているので困惑した。
「いや、あり得ないだろ。俺だってニュースぐらいは見るけど、なにも言ってなかったぞ?」
「報道規制だろ。効果はないみたいだけどな。伝染するみたいに広がってるらしい」
 俺はまだ半信半疑だった。人間が理由もなく、そう易々と自殺なんかするはずがない。
「そんなこと言ったって、どうせ一部の頭がおかしい連中の間で流行ってるぐらいだろ?世界中は無理があるだろ」
 俺はその言葉を、その後すぐに撤回することになった。俺たちのすぐ後ろでそれが起こったのである。
 それは何かが地面にぶつかる鈍い音と、何かが砕ける音が混ざった、聞き覚えのない、しかし、明確に不快感を誘う音だった。
 その音と同時に、俺と勇二の間を何か小さくて丸いものが通り越した。
 立ち止まった俺たちの足元で、それはゆっくりと転がって、静かに止まった。 それは完全に人間の目玉だった。視神経がまだつながっていて、さながらおたまじゃくしか、精子といった形をしている。
 俺たちは後ろで何が起こっているか知っていた。この大学には高いビルが多い。飛び降りる場所には事欠かない。
 しかし、知っていながら俺たちは振り返らずにはいられなかった。
 俺たちは恐る恐る振り返り、そして俺は流行の最先端の姿を見ることになった。

 その後、事態は目に見える形で急速に展開していった。
 俺の日常生活の中で、死体は欠かせないものになった。
 街を歩けばそこかしこに様々な死に方をした死体が転がり、もはやそれを処理しようとする者はいなかった。
 当初は飛び降り自殺が、ある街角のラッパーいわく「フリーな感覚で俺のソウルをハイにトリップさせてくれる」(意味不明)ことから流行っていたらしいが、その後一時期首吊りが流行り、今はみんな「個性を生かして」様々な自殺をするそうだ。
 これほど急速に自殺ブームが広まった原因は二つ。まず、時の総理大臣を始め、数多くの政治家が自殺したことによりマスコミが報道規制を無視し、このことをおもしろおかしく電波に乗せたことが引き金となり、さらに米大統領が大層な演説の末に公衆の面前で自身の頭を拳銃で打ち抜いたことでピークを迎えたのである。
 こうして、老若男女問わず自殺ブームは広まり、果ては先程のコマーシャルのように、この状況を利用した商売まで登場したわけである。

 さて、俺はテレビの電源を切ると、上着を羽織って外に出た。
 さすがに、ドアを開けてすぐ目の前に、上の階の通路の手摺りからぶらさがった首吊り死体が見えたときは驚いたが、もう慣れてしまって、俺はすぐに平静を取り戻した。
 勇二から呼び出されて、俺はとある駅の改札の前で勇二を待つ。
「よう。早かったな」
 待ち合わせの時間を少し過ぎて勇二がそう言いながら現れると、俺たちはがらんと人気のない街中をぶらぶらと歩き始めた。
 特に用があるわけではなく、お互いに暇だったから会うことになり、その暇な時間を共有しているに過ぎない。
「そう言えば、世界の人口が、自殺が流行する前から2割りを切ったらしいな」
 俺は今朝見たニュースで言っていたことを思い出して話した。
「発展途上国じゃ、当たり前かも知れないけど、ほとんど流行ってないらしいから、先進国だけなら1割り切ったんじゃないか?」
 俺の言葉に、勇二は片方の眉を上げた。
「ふ〜ん。やっぱり先進国だけなのか。…あ、切腹。武士だねぇ」
 勇二は意味深な発言をした後、ご丁寧に白装束まで着て、その半分を真っ赤に染めて腹を裂いて死んでいる男をみながらそう言った。
「和物ブームの名残か?」
 そんなことを言いながら、俺たちはほとんどの店が潰れる中で辛うじてやっていた喫茶店に入った。
 二人してコーヒーを注文すると、勇二が口を開いた。
「考えたんだけどさ。生物っていうのは、種の個体数が増えすぎると自己消滅してある程度のバランスを保つように遺伝子レベルでプログラムされてるんだ」
「淘汰ってやつか?」
 俺がそう言うと、勇二は少し首をひねった。
「淘汰とは少し違う気もするけど、まあそういう言い方をしても構わない」
「今回の自殺ブームが淘汰だって言うのか?」
「そうさ。人間はある時、気付きもしないで自分たちを淘汰する道具、システムを作っていたんだ」
「システム?」
 こういう話をしているときの勇二は妙に確信ありと言う感じを醸し出している。俺が聞き返すのを待ってましたとばかりに話を進める。
「ああ。この流行の発端を知ってるか?」
「いや。まったく知らないな」
「たった一つのニュースさ。どこかの国の貴族だかお偉いさんだかが、『ちょっと自殺してみる』ぐらいの軽い内容の遺書を残して自殺した事件がいつだったか世界的に報じられてな、それが各国のメディアで、バラエティだのワイドショーだので取り上げられて、気軽な自殺のイメージが一気に大勢に浸透した。それに、報道規制がなくなってから、一気にこのブームは広まった」
 なんとなく話が見えてきた。俺は先取って答えを言った。
「つまり、人間が自己消滅するためのシステムはテレビだった、と?」
 勇二がにやりと笑って頷いた。
「テレビが発明されたときから、人間がこういう形で淘汰されるシステムが開始されたんだ。人間が精神的な存在であるならば、テレビを使って情報の共有を行なえば、情報によって形成される人間の精神性は自ずと一つの共通性を持つのさ」
「・・・いちいち難しい言い方しやがって。つまり、全員同じように考えるようになるってことだろ?」
 俺が短くそう短くまとめると、勇二は頷いて返した。
「そう。そうやって一般化、共通化された精神を持った人間は、ある一つの命令、ほんの些細なきっかけを与えるだけで、いとも簡単に自己消滅していく、ってわけだ」
「まあ、確かに最近はテレビで言ってることが基準だ、みたいな雰囲気があったしな。そうかも知れないな」
 俺が同調したことで、勇二は満足気な表情になった。
「つまり、残ってる俺たちは、精神の共通化から漏れた、進化論から言うなら選別された人間の進化型ってことだな」
 こんな状況で、お前は選ばれた人種だ、などと言われても、俺は大した感銘も受けなかったため、そこは適当に流しておいた。
「しかし、残ってるのがテレビも見ないような、社会性の薄い、俺や勇二みたいなひねくれたやつだけだとしたら、居心地良いやら悪いやらだな」
 俺がそう言うと、勇二も「確かに」と呟いて苦笑した。

 それから更に数ヵ月が過ぎ、自殺ブームも過ぎ去り(というより流行に乗るやつがみんな死んだだけだろう)、事態は意外な進展を見せた。
 なんと、自殺した死者が蘇ったのである。いや、正確には蘇ったのではなく、その人物の精神だけがふらりと帰ってきたような、そう、言わば幽霊である。
 俺は焦った声で電話をしてきた勇二に呼び出されて、例の駅の改札の前に向かった。
「やばいぜ!どうやら大変なことになった!」
 その場に駆け付けた勇二は、挨拶もなしにそう切り出した。
「やつら、死んで精神だけに、情報になりやがった!しかも、お互いにリンクして、同時に情報を共有してやがる!」
「おい!落ち着いて、もっと分かりやすく言ってくれ!」
 俺はわけが分からなくなって、たまらずそう叫んだ。
「つまりだな、あいつらはテレビという媒介なしに情報を共有できる、一つの集合体としての完全な精神的存在になった。これで個体数を増やさずに種を保存できるようになったわけだ!進化型は俺たちじゃなくてあいつらだったんだ!やばいぜ?あいつらに生身の俺たちがリンクされたら、情報量の多さに脳がパンクして、死すら許されずに朽ち果てる」
 勇二の言葉は全然分かりやすくなっていないが、状況は掴めた。
 つまり、淘汰されるのは俺たちだったわけだ…。
 その時、俺たちははっと振り返った。
 ホログラフのような背景が透けた人間、いや、死者が、俺たちの後ろに立っていた。

 死者は手を伸ばし、俺たちの脳にリンクした。
 瞬間、俺の意識はテレビを消した時のように、ぷっつりと途切れた。

 




// Copyright (C) 2001-2007 NegativeCelcius. All Rights Reserved. //