暗黒の章 第23章 月明りの女神

 私は、ずっとこの部屋に居ます。窓が一つと、ドアが一つ、それにベッドが一つ置いてあるだけ。私は、ずっと、ずっと、この部屋に居ました。
 私に食事を持ってきてくれるおばさんは、私は「幸福の女神」なんだと言っていました。何のことなのか分かりませんが、私は、この部屋から出てはいけないそうです。
 子供のころに、この部屋に連れてこられたときのことを、少しだけ覚えています。毛むくじゃらの男の人に連れられた私は、綺麗な服を着た人に渡されました。そして、高い塔の天辺の、この部屋に入れられました。
 昔は、窓際に鳥さん達が遊びに来てくれていました。私は、自由に空を飛びまわれる鳥さん達が羨ましかった。私も、この窓から、外に飛び出せたら良いのに。
 窓からは、丘が見えます。だけど、それ以外のものは何もありません。寂しく枯れた木が、お城の庭に一本だけ、冷たい風に吹かれて揺れています。
 今日も、私はこの部屋の、このベッドで目が覚めました。お日様が、いつも眩しいほどの光で私を起こしてくれるんです。
 私は、起きると必ず窓から外を眺めます。外は朝日に照らされて、緑は嬉しそうに踊っています。私は、お日様の光で綺麗になった空気を吸い込んで、おはようと自然に挨拶をします。
 いつものように、一日が過ぎていきます。平穏で、汚れのない世界が、私の回りを流れている。夕日は赤々と空を染め、私の白いドレスも真っ赤になります。
 お日様が隠れてしまうと、私は窓辺に腰掛けます。お月様は、静かに、優しく世界を照らしています。そんな時、私はあるものを見つけたんです。
 窓から見える丘の上で、月明りを浴びて、両手を広げて上を見ている人がいたのです。私は、私以外の人を始めてみました。
 その人は、お月様の下で、月の光と一緒に、きらきらと美しい踊りを踊っていました。思わず、見とれてしまいます。すると、その人が私の方を見ました。私は驚いて、どうしたら良いのか分かりません。けど、その人は私に優しく笑いかけました。
 踊るような足取りで、その人は塔のすぐ下まで歩いてきました。そして、澄み切った声でこう言いました。
「こんばんは、お嬢さん。」
 私は、どうしようかと迷いながらも、何か嬉しくて答えました。
「こんばんは。」
「僕はルナスと申します。よろしければ、こちらへ来て、僕と踊りませんか?」
「それは、できませんわ。」
 私の言葉に、ルナスは笑いました。
「できないことがありますか。貴方のような美しい女性なら、恐縮ながら、僕が踊りをお教えいたしましょう。」
「いえ、私は、この部屋から出られないのです。」
 私がそう言うと、ルナスはきょとんと目を丸くしました。
「部屋から出られない? そんなことがありますか。でしたら、貴方は何故、その部屋から出られないのですか?」
 私は、おばさんから聞いたことを教えました。
「私は『幸運の女神』ですから、この部屋から出てはいけないそうなのです。」
 その言葉に、ルナスはまたきょとんとすると、もう一度笑いました。
「『幸運の女神』とは、ここの連中はネーミングセンスというものがありませんね。では、僕が貴方をそこから出して、『月明りの女神』としてあげましょう。」
 それを聞いたとき、私は自分の中から湧き上がる喜びを、押さえつけることがどうしてできたでしょうか。
「ルナス、貴方の言うことは、本当なのでしょうか? 本当ならば、私は貴方にどれほど感謝すれば良いのか分かりません。」
「感謝などいりません。ただ、そのあかつきには、僕と踊ってくだされば良い。」
 私の目から、知らず内に涙が流れてきました。ルナスは、その涙を見て、少し驚いたように私を見つめました。
「私は、どうすれば良いのでしょうか?」
 聞いてみると、ルナスははっと気がついたように答えました。
「え…? あ、いや、貴方はどうする必要もございませんよ。ただ、次の満月の夜までお待ちください。」
「ルナスは、次の満月の日まで、何回ここに来てくれるのですか?」
 私の問いに、ルナスはにっこりと笑うと、お月様を指差した。
「月が貴方を照らしていれば、僕は必ず会いにきますよ。」
 そう言って去っていくルナスの姿は、お月様の中に消えていったように見えました。

 次の日の夜も、お月様が綺麗な夜でした。
 私が窓辺に腰掛けていると、昨日と同じように、ルナスがお月様の下で踊っていました。
「ルナスは、踊りがお上手ですのね。」
 昨日のように近付いてきたルナスに、今日は私から声をかけてみました。すると、ルナスは澄んだ水のような笑顔を浮かべて、軽くお辞儀をしました。
「お褒めの言葉、光栄に存じます。」
「本当にお美しい踊りですわ。いったい、どこでお覚えになったの?」
「美しいとおっしゃられても、貴方ほど美しいものはございません。それに、この踊りは僕の自己流なのです。」
 誉められると、私は自分の顔が熱くなるのを感じることができました。今まで、人に「美しい」と言われたことなど、なかったのです。
「ルナスは、不思議な格好をしていますね。異国の方なのでしょうか?」
「いいえ。僕はこの国の者ですよ。」
「ルナスは、何故ここで踊っているのですか? どこからいらしたのですか?」
 私がそう質問すると、ルナスの表情が少し変わりました。でも、すぐに笑顔に戻ると、言いました。
「今日の貴方は、良く僕のことをお尋ねになりますね。」
 ルナスにそう言われると、私はなぜかまた、顔が熱くなるのを感じました。自分でも不思議なほど、ルナスのことを知りたいと思うのです。

 そして、次の日も、その次の日も、ルナスは夜になると私のところへ尋ねてきました。私は、ルナスと話しているときが、今までで一番幸せでした。
 そして、満月の日がやってきました。私は、ルナスがやってくるのを待ちきれませんでした。夜の空には、今までで一番美しく、大きなお月様が輝いていました。そして、ルナスはその下に、月明りを纏って踊っているのでした。
 塔へと近付いて来たルナスは、なぜだかとても悲しそうな顔をしていました。
「ルナス、満月の今日、私をこの部屋から連れ出してくれるのですね?」
 私は喜びに満ちた声でそう言いました。すると、ルナスは一層悲しそうな顔をして、悲しそうな声で答えました。
「貴方は、どうしてもその部屋から出たいのですか?」
「何をおっしゃるの、ルナス。私は、この部屋から出ることが、ただ一つの夢なのです。」
「貴方をその部屋から連れ出せば、貴方は心から喜んでいただけますか?」
 私はその問いに、笑顔で答えました。
「もちろんですわ。この部屋から出て、あの綺麗な月明りの中でルナスと踊ることができれば、それは私にとって一番の喜びです。」
 すると、ルナスの顔には笑顔が戻ってきたのですが、それは、どこか寂しげなものだったのです。
「どうかいたしましたか? ルナス。」
「いいえ。僕は、貴方に慶んでいただくことができれば、それはこの上ない喜びです。約束通り、貴方を『月明りの女神』にしてあげますよ。」
 ルナスはそう言って、丘の天辺まで登りました。そして、お月様の光を集めると、私のいる部屋まで階段を作ったのです。
 ルナスは丘の上にひざまずくと、手を私の方へ伸ばしました。私はそれに従って、窓から外へ出て、階段を下りました。階段を下りてきた私の手を取ると、ルナスは私の手に口付けをしたのです。
 ルナスが立ち上がると、私は外に出られた喜びと、ルナスの近くに来れた嬉しさを押さえられず、ルナスに抱きついてしまいました。ルナスの腕が、私の体を抱きとめます。
 幸福感が、私を包んでいきます。体中が熱くなり、私は、月の光に包まれたように感じました…


―現代― 
 僕がぼんやりと上を見上げていると、依頼人の男が下品な声で話し掛けてきた。
「終わったのかい? ルナスさん。随分と時間がかかったねえ。」
 僕は依頼人の方を見ずに答えた。
「一応、調査報告があります。どうやら、この城の主人は、奴隷と一緒に『幸運の女神』と呼ばれていた少女を、奴隷商人から買ったようです。調べによると、占いやら、迷信やらを信じていた奴ですから、飛びついたんでしょう。そして、自分だけが幸福をものにしようと、その少女をあの塔の天辺に監禁したんです。…欲に溺れた愚物め…。」
 最後の言葉は聞こえなかったようで、依頼人は手を打った。
「なるほど。それで、あの部屋で死んだ少女の霊が取り付いていたというわけですな。」
 そう、僕は「月夜のルナス」という異名を持つ、有名な除霊師なのだ。月の力を借りて、霊がいる世界に入り込むことができる。
「そうです。その少女の夢は生涯、部屋の外の世界を見ることでした。」
「さぞ大変な悪霊だったんでしょうな。化け物退治、ご苦労様。」
 僕の話を聞いていたのかどうか、依頼人はそう言うと、歩いていった。僕は、その後で呟いた。
「いえ…いつも寂しそうな顔をした…でも最後は心から笑顔を浮かべた…とても美しい女性でしたよ…」
 僕は、自分の頬を伝い落ちていく一条の涙が、誰にも見えないように月を見上げた。「月明りの女神」は、僕の腕の中で美しい光となって夜空に飛び立ち、月の光に溶け込んでいった。

 




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